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「代えがきく会社員」でもいい。自分にしかできないことは、世界中にあふれている

「自分にしかできない仕事」って、ちょっとカッコいい。でも抱え込みすぎると、しんどい……。

そんな葛藤から、なかなか人に頼れない方もいるかもしれません。どうすれば、このしんどさを手放すことができるのでしょうか?

今回は、実際に読者の方から届いたお悩みについて、いぬじんさんにコラムを執筆いただきました。

読者の方から、こんな声が届きました。

「この仕事は自分でなくてもできる」と認めるのが怖くて、つい仕事をひとりで抱え込み、人に頼れなくなってしまいます。

「あんたがいなくなっても会社は困らへん」

読者の方のお悩みを見てすぐ思い出したのが、昔、母に言われたこの言葉です。

新入社員のとき、ぼくは不本意な部門に配属になりました。おまけに、そこはめちゃくちゃ忙しい職場でした。しかも、いくらがんばっても、希望しているクリエイティブ部門に異動できる様子もない。こんなに努力しているのに報われないなら、いっそのこと辞めてやる、と母にぼやいたことがありました。

その時に、母にこう言われたのです。

辞めたいんやったら、辞めたらええ。でもな、あんたがいなくなっても会社は困らへん。あんたが辞めても、また他の人が代わりにあんたの仕事をやるだけや。会社ゆうのはそういう風にできてるんや。だから、辞めて会社を困らせてやろうとか、後悔させたいとか、そういう理由で辞めるんやったら無駄な話やで。

本当にそうだなあと、あれから20年以上経った今でも思います。 人間というのは、自分のやっていることが何か特別なことだと思いたがる生き物なのでしょうね。

新人の頃は、本当にこんな難しい仕事が自分にできるかなあとか、先輩から引き継いだ仕事だから大事に扱わなくちゃなあとか、謙虚な気持ちで取り組みはじめる。それなのに、いつのまにか「これは自分にしかできない仕事だ」と思うようになり、抱えこんでしまう。

うまくいってるあいだはそれでも問題ない。でも、気がつくと自分以外の人に任せられなくなり、許容量を超えた仕事を抱えてパンクしてしまったり、もっと早く相談しておけば防げていたようなトラブルにつながったりしてしまう。

じゃあ、一体、どうすればいいのでしょうか。

手放せないのは、次があるか不安だから

自分のことを振り返ると、「この仕事は絶対に自分でなければならない仕事だ」と思いこんでいる時というのは、心のどこかで「この仕事がなくなったら、もう次はない」と勝手に思いこんでいるような気がします。

人間というのは、目の前で実際に起きていることや、それに対する自分の取り組みがすべてだと思いがちです。せっかくここまでできるようになった仕事がもし失われたら、もう自分の役割はなくなってしまう……と勝手に思いこんでしまいます。

ただ、それなりにサラリーマンをやってきて思いますが、自分の役割がなくなってしまうなんてことはめったにありません。

それで思い出すのは、コピーライターとして駆け出しの頃のことです。

ぼくは念願のコピーを書きはじめてからすぐに、ビギナーズラックでいくつかの広告賞をもらいました。それですっかり天狗になってしまって「絶対にオレのアイデアのほうがおもしろい」と、先輩や上司の言うことを聞かなくなり、すっかり干されてしまったことがありました。

面白そうな仕事があっても、それは全部他の若手たちに割り振られてしまい、ぼくはみんなが嫌がる、ルーティーンの仕事しかさせてもらえなくなりました。 企画から納品までのやり方がすべて決まっていて、その通りにひたすら地道にやっていけばいい、まさしく誰にでも「代えがきく」仕事でした。

若い頃は短絡的なので、ぼくはすぐに、ああ自分のクリエイター人生はもう終わったな……という感じで落胆しました。でも他にやることもないので、ぶつくさ文句を言いながらも、地味な制作現場の進行係を続けていました。

ところが、この経験のおかげで、ぼくは若手の中で誰よりも制作現場に詳しい人間になれたのです。企画と現場進行の両方ができる今時珍しい若手として、色んな先輩たちから声をかけてもらえるようになりました。

たぶん、読者のみなさんも似たようなことをたくさん経験されていることだと思います。

たしかに会社は母が言うように「あんたがいなくなっても困らへん」かもしれません。代わりはいくらでもいる。でも違う見方をするなら「誰だって、誰かの代わりになれる」とも言えます。

もし「自分にしかできない仕事」を失ったとしても、また新しい役割が待っています。それは、はじめは「誰かの代わり」の仕事かもしれない。でも、そうやって色んな人の代わりをつとめていくうちに、たくさんの新しい経験をして、できることが増えていく。「これは自分の仕事だ」と思える仕事がどんどん増えていく。

それって、すてきだと思いませんか。

自分らしさは、ちゃんと育つ

そんなことを言っていると、いやそれが日本のサラリーマンのダメなところなんだとか、個人の市場価値が育たないとか言われそうですし、実際にそうかもしれません。

だけど最近は、そんなに個人の市場価値って大事なものかな、と思ったりもします。

これは、とても大事なことだと思うのですが、「会社や仕事における自分の市場価値」と「自分の価値」はイコールではありません。

たしかにぼくはコピーライターという、個人の「市場価値」を高めていくことが当たり前、という現場で仕事をしてきました。でも、コピーライターの仕事を離れ、地味な仕事ばかりしている今のほうが、ぼくは「自分らしい」人生を送っていると感じます。

若い頃は、自分の仕事に対する業界や市場の評価を、そのまま自分という人間そのものの評価として受け止めてしまっていたように思います。

だから、いい作品ができたときはサイコーの気持ちだったし、逆に干されたり、広告賞に落選し続けたりすると、人生自体に絶望を感じはじめたりしていました。そうやって、他者の評価によってしか「自分らしさ」を見い出すことができなかったように思います。

仕事というのはうまくいくときもあれば、全然ダメで、そのダメな感じが永遠に続くかのような時期もあります。才能や実力があれば大丈夫とは限らないし、運やタイミングなど色んな要素がからみあっているので、こうすれば絶対にうまくいく、というものはないように思います。

ただ、そういう山あり谷ありの中で、ここまでなんとか働き続けることができたという事実自体は、ぼくの「自分らしさ」の一部として、しっかりと根づいているように思うのです。

また、当たり前ですが、自分らしさは仕事だけで作られるものではありません。年を取るにつれて、色んな役割を担うことが増えていきます。

夫として、そして父としての経験は、ぼくという人間のあり方に大きな影響を与えてくれました。また、ブロガーとして文章を書いたり、たまにオフ会をやったり、こうやってコラムを書かせてもらったりすることも、とても大切な時間です。

たしかに、ぼくはサラリーマンとしては「代えがきく」存在かもしれません。でも、他にも大切なものがたくさんあるからこそ、今の自分を「自分らしい」と感じることができるように思います。

だから、くれぐれも「会社や仕事における自分の市場価値」と「自分の価値」を混同しないことです。あのときの母も、そういうことを伝えたかったのかもしれません。

自分の幸せは、市場なんかで決まらない

余裕のない世の中です。

人は幼い頃から自分の市場価値を高め、環境の変化に合わせて自らの価値観を変化させ、長い人生を必死に生き抜いていかないといけない時代だと言います。 たしかにそういうレンズを使って人生という風景をのぞくこともできると思います。

でも、自分の人生をどうとらえ、何をうれしいと感じ、何を幸せと思えるか、それは市場によって決まるものではありません。 それは自分で見つけていくものだと思います。

そうだ、もう一つ、若い頃に言われたことを思い出しました。

尊敬するクライアントの言葉です。

会社っていうのはね、ごっこ遊びですよ。クライアントだとか代理店だとか上司だとか部下だとか、全部ごっこ遊び。そこで成功したり失敗したり一喜一憂することもあるけど、みんなでゲームをしていると思ったらいいんですよ。だからそんなに思いつめず、のびのびやってくださいな。

これ、ほんとそう思います。

もちろん、それはとても意義深く、ためにもなり、人生を豊かにしてくれるゲームであるけれども、それがすべてではない。

「自分でなければできないこと」は会社の中だけでなく、世界中にあふれているように思います。

だから肩の力を抜いて、さ、気楽にやっていきまひょ。

※この記事は、サイボウズ式特集「ひとりじゃ、そりゃしんどいわ」の連載記事として2022年8月31日に公開されたものです。

イラスト:マツナガエイコ


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