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「自己管理できる人はえらい」という思い込みから、誰にも頼れなくなってしまった話

頼りたいけど頼れない。甘えたいけど、甘えられない。

そこには、「困りごとにひとりで対処できる人のほうがえらい」という思い込みがあるのかもしれません。
周りはみんな優しく手を差し伸べてくれるのに、わたしはなぜその手を受け取ることができないのだろう?

そんな想いを抱えた、会社員兼ブロガー・はせおやさいさんに、特集「ひとりじゃ、そりゃしんどいわ」でコラムを執筆いただきました。

思っていたより、しんどい!

働きながら子どもを産み育てようとしたとき、さまざまな制約が降り掛かってきます。時間的なこと、経済的なこと、精神的なこと……。そんなとき、周りはこんなふうに言ってくれました。

「困ったことがあったら、いつでも頼ってね」

みんな親切心から言ってくれるこの一言。本当に嬉しいです。嬉しいのですが、でも、どうやって頼ればいいの!? このしんどさは、誰が助けてくれるの!?

……冒頭からいきなりしんどい思いを書いてしまいました。ブロガーズ・コラム連載中の会社員兼コラムニスト、はせおやさいです。こんにちは。

社会に出て20余年、さまざまな仕事の「しんどさ」がやってきて、わたしのもとを去っていきました。もちろん仕事に限った話ではなく、人生にもたくさんの「しんどさ」がやってきます。

頼りたいけど頼れない。甘えたいけど、甘えられない。どうして? 周りはみんな優しく手を差し伸べてくれるのに、わたしはなぜその手を受け取ることができないのだろう?

業務のしんどさは「タスク」と「タイム」のマネジメントで立ち向かえる

もともと仕事は好きなほうで、やりすぎてペースダウンするときもあれば、ハイテンションでバリバリ突き進むときもある、というムラのある働き方をしてきました。

しかしわたしも40代、勢いに任せた働き方しか知らないと、ペースダウンしたくなったときのコントロールがうまくいかない!

たとえば細切れの会議やタスクがみっちり入っていて、自分自身の作業時間が取れず、考えごと・調べごとをする時間がない、というお悩みがあります。

これについては日々、試行錯誤を続けているのですが、現時点での最適解は、「タスク」と「タイム」をマネジメントすること。

「タスク」とはつまり業務におけるやらなければいけないこと。「タイム」とはそのまま時間のことですが、この2つをマネジメントするために、こんな段取りをつけました。

まずはタイムマネジメントのために、自分がいま持っている業務を棚卸しすることからはじめました。参加しなくていい会議から外れ、議事録でキャッチアップするように。

ミーティング時間のデフォルトを1時間から45分、もしくは30分に。自分の作業時間を確保したいときは、あらかじめカレンダーで先回りし、予定をブロックしておきます。もちろん、「いつでも相談してねタイム」は別途設けます。

こうしてタスクを必要最低限にしたところで、似ているタスクをぎゅーっと近い時間に集めてしまいます。そうすると「1時間打ち合わせのあと、15分だけ空き時間があって、その後30分かけて書類のレビューをして……」というようにバラバラだった時間軸が、「午前中は打ち合わせ、午後は書類作業」というふうにまとまっていきます。

この目的は、似ている業務を集めていくことで、脳のスイッチングコストを抑えるというもの。

この2つのマネジメントを覚えることで「打ち合わせ」と「書類作業」を行ったり来たりする「高速反復横跳び」みたいなしんどい状態からは、いったん抜け出すことができました。

精神のしんどさは「ま、いっか」を積極的に取り入れ、肩の力を抜く

こんなふうにギチギチに「タスク」と「タイム」をマネジメントしていくと、次にあらわれてくるのは「なんか、息苦しい」というしんどさです。自分で決めたこととはいえ、気まぐれにコーヒーを買いに行きたくなるような時間もないのは、精神的に辛いもの。

なので、集めた時間の隙間に5分・10分の空きが出たとき、パズルのように新たな作業を組み込むのではなく「ま、いっか」と割り切って、バッファを置くようにしています。チャットの返信に当ててもいいし、ちょっとストレッチしてもいい。近所までふらっとコーヒーを買いに行ってもいいでしょう。

このバッファ時間というのは、書類レビューのような個人作業の中だと、自分のテンションに合わせて自由に使えますよね。

これが「書類作業のあと、10分空き時間があって、その後から1時間会議で……」のようにバラバラな流れだと、うまく心が休まらないばかりか、脳のスイッチングコストが大きく、どっちも中途半端になってしまうんですよね。こういうとき、「似ている作業を集めておく」ことが有用に働くわけです。

打ち合わせで誰かとしゃべってテンションが上がっているときは、他の打ち合わせでも活用したい。考えごとモードに入っているときは、静かに作業したい。

そういうメリハリを持つことで、どんなタイプの仕事も中途半端にならず、「やりきれた!」という達成感を持ちやすくなったと感じています。

ただし限界は必ず来る。そんなときは「受援(じゅえん)力」の出番!

とはいえ、「タスク」と「タイム」をマネジメントし、自分のテンションのスイッチングコストを抑えてなるべくスムーズに、メリハリある働き方をこころがけていても、それでも「しんどさ」は襲ってきます。

それは当たり前のことで、わたしたちは工業製品ではなく、一人ひとり、テンションとモードといった「気分」を持つ人間です。朝の目覚めがよければ、なんとなくその日はうまくいく気がするかもしれない。どんより空が重く雨が降る日は、今すぐベッドに戻りたくなるでしょう。

とくに、わたしは40代を過ぎてからの妊娠・出産だったこともあり、体調を崩しやすく、子どもの体力に付き合えるだけのスタミナがないこともありました。

また、子どもを抱えての生活というのは不確定要素が多く、どれだけきっちり自分をマネジメントしていても、急病や怪我で予定していたことが台無しになることも多々あります。

もちろん子どもがいなくても、自分の体調不良や家族・パートナーの不調などで仕事に100%の時間を使えない人も多くいるかと思います。そういった例を見ていると、「しんどさ」に対してできる限りの準備をすることはできるけど、これは限界があるよなあ、と感じます。

そうしたとき、思い出すのが「受援力」という言葉です。

「受援力」とは「支援を上手に受ける力」のことで、主に防災の現場で使われてきた言葉だそう。なにか災害がおきて被災したとき、ボランティアや支援を受け入れる力のことだそうなのですが、この言葉を聞いたとき、支援を受けるにも「力」がいるのか! と目からウロコでした。

もともと、わたし自身は「受援力」が低いタイプです。誰かに助けの手を差し伸べてもらったとしても、つい遠慮して、自分のプライドの高さからお断りしてしまいます。

たとえば、仕事でもう時間がパツパツなのに、タスクを代わりに巻き取ってもらうことを申し訳なく思ったり、逆に誰かにタスクを渡せるような状態にするのを「面倒だ、手間がかかる」と受け入れられなかったり。

自分では、そうやって自律して立ち振る舞えることが立派なことのように思えていたのですが、実はそうではなかったんですね。

もしかしたら、誰の支援も受けずに、仕事や育児・家事をこなせる人もいるかもしれません。でも、わたしはそうじゃなかった! と気付いてからは、この「受援力」をどうやって身につけられるかを考えるようになりました。

「何をしてもらったら助かるか」をクリアにして受援力を高めよう

とはいえ、根が「頼るのが苦手」なのは変わりありません。「意味や言っていることは理解できるが、実行には移せない!」と悩んでいたところ、ふとあることに気付きました。

もしかして「頼れない、頼れない」と言っているのって、自分が「何をお願いしたいか」が明確ではないのかも? もし「遠慮」や「負い目」があるのだとしても、それを一度横においておき、「何をしてもらったら助かるか」をクリアにしてみるのはどうだろう?

要するに、自分が自分に課しているタスクを棚卸しするように、他人にお願いできるタスクはないかを整理して、小分けにしておくことで「受援力」を高めるのに近い効果が得られるのではないだろうか? と考えたのです。

たとえば、

・困っている原因を整理し、第三者にも状況が伝わるようにしておく

・持っているタスクを「自分でなければできないこと」「誰でもいいこと」に分類しておく

・それらのタスクの「いつ」「誰に」「何を」「どうやって」といった情報を整理しておく

といったように、公私を問わずにタスクを分類してみたところ、「これは誰かにお願いしてもいいかもしれない」「これはわたしじゃなくてもいいかもしれない」と思えることが増えました。

振り返ってみると、これは子育てをしていく中で、夫に育児のタスクを頼んでいたのに似ているなと思います。

「夜、眠れなくてしんどいから、夜中にミルクをあげてほしい」「買い物に行く時間がないから、じゃがいもと、にんじんと、玉ねぎを買ってきてほしい」というように、自分のタスクの中から「誰かに頼んでも差し支えない」ことを切り出し、お願いするというのは、「受援力」トレーニングのひとつなのかもしれません。

「自分でなければいけない」という思い込みを手放す練習

そして、「受援力」トレーニングのもうひとつのメリットは、自分のタスクや困りごとを冷静に分割して見れるようになること。

「これはわたしがやらなければ……」「誰かにお願いするには複雑すぎる……」と思っていたことでも、「状況の整理」と「いつ・誰に・何を・どうやって」が分かることで、それらを自分の中でパズルのように動かしやすくなりました。

とくに子育てにおいて、「これは母親だからわたしがやらなければ……」と思いこんでいたことは実際そうではなく、母乳をあげる以外のことはすべて夫でも代替可能です。

我が家の場合は、ほぼミルクで育てたので、夫とわたしが子どもにしてきたことは同じくらい。あとは、それぞれの得意・不得意で役割分担すればいい。

それと同じ感覚で、仕事や個人の困りごとも、「自分でなければ……」という思い込みを捨てて、「状況の整理」と「いつ・誰に・何を・どうやって」やればいいのかを整理することで、パッと頼みやすく・助けを受けやすくなるのではないかなと感じています。

そう思うと、「絶対に自分でなければいけない」ことってそんなに多くはないんですよね。いざとなったら誰かにこれとこれをお願いして、あとは自分のできる範囲でやればいい。そしてまた元気になったら、そのぶん誰かの困りごとを背負ってあげればいい。

そんなふうに考えてみると、持ちつ持たれつで一緒に荷物を背負いながら、「いやあしんどいねえ」と笑える仲間を探すのは自分にしかできないうえに、とても難しいことなんだろうなあと思いますが、それはまた別の話ということで。

今日はそんな感じです。
チャオ!

※この記事は、サイボウズ式特集「ひとりじゃ、そりゃしんどいわ」の連載記事として2022年6月28日に公開されたものです。

イラスト:マツナガエイコ


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