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ぼくは休み方がわからなかった──働きすぎて燃え尽きた医師が気づいた、頑張りと休みの関係

サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」。

今回は皮膚科医でありながら、コラムニストとしても医師・患者間の橋渡し活動を行っている大塚篤司さんに、ご自身の経験談を寄稿いただきました。

記事をご覧のみなさん、こんにちは。僕のことを知らない人に向けて、まずは簡単な自己紹介をしたい。

ぼくはいま、大学病院で勤務している医師だ。日中は患者さんの診療にあたり、医学部の学生の授業や大学院生の研究を指導し、研究費をとってくるための申請書を作成し、コロナが流行る前は学会で世界を飛び回っていた。

最近は、一般の方に医療情報を伝える活動もしており、こうやってコラムを書いたり、YouTubeで医療系の動画を配信したり、本も書いたりしている。正直、目が回るほど忙しい。

そんなぼくはバーン・アウト(燃え尽き症候群)に陥った経験がある。

働きすぎて心身ともに崩壊し、もう同じ道には戻れないと絶望を味わった辛い過去がある。

だから「頑張りすぎる人たちに向けてメッセージをください」とこの依頼を受けたとき、「やりますよ」と二つ返事で引き受けた。

しかし、いざ原稿を書き始めるとまったく進まない。たしかに、自分にはバーン・アウトした経験があり、その経験を伝えることで読者の方たちはなにかを感じ取ってくれるはずだ。

では、語る側のぼくは何を伝えたいのか? そこがまったく見えてこない。見えてないどころか、バーン・アウトした経験から一歩進んで考えていなかった自分に気がつく。

「バーン・アウトから立ち直った。よかったよかった」

ここでぼくはずっと終わらせていたように思う。バーン・アウトの先に見えたものはなんだったのか。今回の依頼を受けるまで、しっかりと向きあったことがなかった。


無茶をして頑張ることが美徳となり、習慣になっていった

本題に入る前に、ぼくのこれまでとバーン・アウトした経緯をお話したい。

思春期の頃のぼくは、ただただ「何者か」になりたかった。圧倒的に「何者かになりたい自分」がいて、後から思えば、誰かを押しのけてでも自分のために頑張ろうとする時期があったと思う。

ただ、年を重ねて「何者かになりたい自分」より「誰かの役に立ちたい自分」のほうが強くなった。「自分が美味しいものを食べる」ことより、「誰かといっしょに美味しいものを食べる」ことが楽しくなり、「大好きな人が目の前で美味しいものを食べている姿をみる」ことに幸せを感じるようになる。

いまでこそ「患者さんの幸せのために」と心から思って診療をできるようになったが、思春期の頃は決して利他的な人間ではなかった。むしろ利己の塊だったと思う。

自分のことしか考えていなかったような自分も、人の役に立ちたいと思った時期があった。高校の時、ずっと元気だった父親が骨折で入院し、初恋の彼女が集中治療室に運ばれ音信不通となり、医者になろうと決めた。また、ぼくはもともと小児喘息で病院通いをしていたのも医者を志した動機のひとつだ。だから、高校3年の模試で偏差値が30台であったにも関わらず、医学部に挑戦した。

当時、代々木ゼミナールの名物講師であった吉野敬介先生が書かれた「だからお前は落ちるんだ、やれ!」という本が流行っていた。ぼくもその本の影響を受け、がむしゃらに勉強した。毎日数時間の睡眠で勉強を続けた。

眠気に負けそうなときは手の甲に針を指し、問題集を解き続け、2浪はしたものの信州大学の医学部に合格した。このときの「無茶をしてでも死ぬ気で頑張った」ことが自分の大きな成功体験になった。

その後、ぼくは無茶をして頑張ることを美徳と信じ、自分の習慣とした。結果を出すためには体を壊すほどの努力をすべきだ、と信じ込んで実践した。

頑張れるだけ頑張り続けた結果、休まざるを得ない状況になった

医者になり数年経った後、大学院で基礎研究に打ち込んでいた時期にぼくはバーン・アウトした。

そのころの睡眠時間は連日数時間。土日休みもなく、研究室にこもって研究をしていた。とにかく、頑張れるだけ頑張り続けた。とことん自分を追い込んだ。

研究は受験勉強とは違い、頑張れば頑張った分だけ結果が出るというわけではない。頑張っても頑張っても、仮説は当たらず実験は失敗となる。睡眠不足のなか、絞り出した気力で行った実験が失敗に終わったときの疲労感は鉛以上に重い。

そういう生活を数年続けているうちに、ぼくは布団から起き上がれなくなり、研究室にいけなくなってしまった。

仕事関連のメールがくると動悸がする。将来のことを考えると死にたい気持ちになる。一日中横になっているだけで苦しい。もう死にたい。なんどもそう思った。ぼくの状況を見るに見かねた家族によって、ぼくは強引に心療内科に連れて行かれた。

薬を処方され、しばらくの間仕事を休むように指導され、ぼくは長年の夢であった医療の最前線で働くことをあきらめた。自分が開発した薬で多くの患者さんを救う夢は叶わなかった。もう仕事はやめよう。医者も辞めよう。ぼくには向いてない。

絶望の中、ぼくは当時の教授に辞表を持って面会を申し込んだ。ぼくがやめると口に出す前に、教授はぼくの職場転換を提案した。その場でお膳立てをされ、心機一転働ける場所を提供してくれた。

これは本当に幸運だった。さらに、移った先でもぼくの状況を理解してくれるボスがいた。ふたりがいなければぼくはいまごろ医者をやめていただろう。

ぼくは「ちゃんと休む」をわかっていなかった

さらに大きな転機が訪れた。留学するチャンスをもらったのだ。

留学先はスイスのチューリッヒ。皮膚癌の世界的権威がいて、当時最先端だった免疫チェックポイント阻害剤の研究に関わらせてもらった。「世界で一流の権威がいる場所とはどんなところだろう?」と期待をもっていってみると、まず驚いたのは、みんなよく休むことだった。

夏休みの2週間、冬休みの2週間、仕事の進捗に関係なくボスもしっかりと休む。平日も夜遅くまで仕事することは珍しく、しっかりと帰って家族と食事をともにする。

そのときはじめて致命的な自分の欠点に気がついた。

ぼくは休み方がわからない。

スイスに来る前は、休むこともせずひたすらアクセルを踏み続け、オーバーヒートした状態で「もっと早く」を目指していたことにようやく気がついた。本来ならば、走るためには休まなければいけない。

ワーカホリックだった自分は正直、スイスでのひまな時間をどう過ごしたらいいか、まったくわからなかった。しかし、そんな生活を1年、2年続けるうちに、仕事のことを考えない日を作れるようになった。旅行に行き、美味しいものを食べ、美しい景色を見る。これまでなら罪悪感を感じていたそんなぜいたくな時間を楽しめるようになった。

バーン・アウトして心療内科の医師に休むように指導されたとき、ぼくは起き上がれない布団の中でずっと将来について考えていた。目が覚めれば「なんとかしなくちゃいけない」と呪文のように唱えた。

それでも、同じ場所に戻って同じ熱量では働けないことは自分が一番よくわかっていた。仕事はせず、体を絶えず横たえていたが、頭はフル回転だった。全然休めていなかった。

それがスイスにきて、ぼくは頭を真っ白にして休むことができるようになった。そこではじめてわかった。これこそがちゃんと休むということだと。

そしてもう一つ大きな発見があった。うまく休めば生産性が上がるのだ。きちんと休めばテンポよく仕事をでき、トータルで一番生産性が高い。

バーン・アウトを経験して、スイスで休み方を覚えて、ぼくはいまのように目まぐるしく働けるようになった。いまはめちゃくちゃ働いているが、休みはしっかり取っている。周りからは休んでないように思われるときもあるが、そんなことはない。上手にさぼっている(笑)。 この先、バーン・アウトすることは二度とないと自信をもって言える。

頑張らなければ結果は残せない。無理せず頑張り続けることが大事

では最後に、バーン・アウトの先に見えてきたものが何だったのか向き合って考えたいと思う。

この記事は「頑張りを見直す」ための連載と聞いている。それでもあえて言いたい。「なにかを成し遂げたいあなた」は頑張らなくてはいけない。頑張らずに人より結果を出せる方法があるなら、ぼくにも教えて欲しいくらいだ。

天才は努力しなくても結果を残せる人を指すのではない。努力を続けられる人であり、努力を努力と思わない人であり、人の何倍も頑張っても心身を壊さない人だと思う。ぼくらのような凡人は頑張らなければ結果を残せない。

だから頑張りたい人はとことん頑張ったらいいと思う。何者かになりたい気持ちをちゃんと認めて、いまの自分が理想の自分にどれだけ足りてないか冷静に分析することが大事だと思う。

バーン・アウトを経験した後、ぼくは一定の期間世の中を斜めに見ていた。自分がうまくいかなかったのは組織がいけなかったからだ思い、上司が悪い、社会がダメだった、と結論づけた。言葉にはせずとも、そういう思いが心の奥深くにあり、自分のバーン・アウトをなんとか肯定しようと認知を歪ませていたのだと思う。

ただ、いま改めて思うのは、バーン・アウトになる環境で燃え尽きるまで身を置き続けたのは自分の判断だ。ある意味、自分が悪い。勇気を出せば逃げるチャンスはいくらでもあった。

でも、ぼくはバーン・アウトしそうな人を「自分が悪い」と言うつもりはない。なぜなら、ギリギリの状態では正しい判断ができないからだ。「なんとかせねば」と頑張り続けてオーバーヒートしている状態で「休む」という選択肢を選べる人は殆どいない。

だからこそ、バーン・アウトするギリギリまで粘るのではなく、もっと早い段階で気がついて行動に移さなければならない。「このままだとやばい」といち早く気がつくことがなによりも大事なことだ。

そのサインをしっかりと見逃さないこと。なんでもいい。働きすぎているときの自分の特徴を見つけること。ぼくの場合、美容室にいかず髪の毛が伸びすぎたり、靴底がすり減った革靴を履いたまま仕事をしたりするようになったら、働きすぎのサインだ。

一方で、「泥臭く頑張ることがかっこ悪い」という風潮に、自分が頑張らない理由を重ねてはいけない。それはたださぼっているだけだ。

テンポよく無理のない範囲で頑張ることは楽しい。頑張り続けていれば、また違う景色が見えてくる。あこがれの人に会えるチャンスだってあるし、いっしょに仕事ができる日もくる。だから、「頑張らないことをかっこよく思う」のではなく、無理せず頑張り続けることが大事だと強調したい。

バーン・アウトしてしまった過去の自分に、いまアドバイスできるならこう言うと思う。

「頑張れ、そしてきっちり休め」

努力が報われるとは思わない。ただ、努力せずに報われるほど世の中は甘くない。なにかを成し遂げるために頑張ろう。そしてしっかりと休もう。

※この記事は、サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」の連載記事として2021年1月19日に公開されたものです。

企画:神保麻希(サイボウズ)/執筆:大塚篤司/編集:野阪拓海(ノオト)/イラスト:iziz


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