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会社のために頑張ると覚悟を決めたら、撤退ラインを先に引け

サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」。過去、週4の働き方にチャレンジし、現在は自分の好奇心を存分に満たす働き方を実践している桐谷ヨウさんに、「会社のために頑張ると決めた時に、同時に考えたい撤退ライン」について執筆いただきました。


今回のサイボウズ式の特集テーマは「そのがんばりは、何のため?」となっています。

このフレーズを見たときに、前職に所属していたころの心の葛藤が、そのまま書かれていたように感じました。

「自分は何の(誰の)ために、頑張っているのだろう?」「バカバカしいから投げ出したい。だけど、逃げるようで自分で自分が許せない」──。そんなことを考え続けた1年余りだったからです。

暗いトーンで原稿をはじめてしまいました。唐突なワタクシゴトの報告となりますが、今年の4月に、自分にとって理想的なかたちで転職をいたしました。

キャリアアップという言葉は好きじゃないですが、希望の職種レイヤーになり、会社規模も大きく(顧客が大口)、それでいて職種的に担保されにくいワークライフバランスを保ちやすい環境への転職です。というわけで、いまはハッピーにやっております。もちろん日々の業務で大変なことはありますけどね。

誰しもが生きていれば、頑張っていれば、それなりに大変なんじゃないでしょうか。そして、生きることや頑張りを続けるために大事なことは「納得感」であると俺は考えています。

同じハードワークでも、めちゃめちゃ退屈な作業でも、自分の中に納得感があればやっていける。満足する環境なんてそうそうない。けど「納得できる環境」は自分の基準で見つけられる。

そんな風に考えている自分が、このテーマでみなさんに伝えたいことは「会社のために頑張ると決めたとき、同時に撤退ラインを決めよう」です。前職のベンチャー企業をよりよくすると決心して奮闘し、ついに撤退を決めた自分の経験から学んだことを伝えます。

コスパ至上主義だった自分が、ベンチャーで水を得たように働けた理由

少し過去の話をします。2018年11月、俺は前職のベンチャー企業でマネージャー就任をオファーいただき、引き受けることになりました。入社して1年半くらいの時でした。

もともとは、その企業に週4日勤務として入社しました。フリーランスを経た当時の自分にとって、理想的な勤務体系だったのです。そのあたりは、サイボウズ式の記事でも語らせていただいたとおりです。

前職にジョインしたころの自分は、会社のために働くなんてバカげているという考えでした。会社なんて個のスキルを磨くために利用するもの──という意識の高さ、したたかさがあったわけでもありません。ただただ、コスパ至上主義だったのです。

同じ給与ならば、短時間で仕事を済ませるのが得に決まっている。いかに会社の業務を圧縮して終わらせ、プライベートを充実させるか。そんなことしか考えていませんでした。

そんな自分は入社してから、刺激的な経験を積み重ねていきます。ベンチャーという環境は非常におもしろくて、大企業時代と違ってルールがない。自分の判断で物事をグイグイ進めていけます。上司の承認なんてあってないようなもので、判断の妥当さに信頼があれば、相当のことは任せてもらえます。

俺は水を得た魚のように、自由に仕事を進めていきました。

顧客との距離感も非常に近く、売り上げ100億以下の規模感のお客様が多かったです。先方の部長職を中心に、ときには役員レベルと商談を進め、グイグイ信頼を獲得していく。営業未経験の自分が、8桁の案件を何本も受注してくる。このプロセスは非常に快感でした。

身のまわりを見渡しても、あくまで個人的な感覚ですが、32〜33歳というのは、人材が大きく成長しうるタイミングのような気がしています。

特定領域の担当者として優秀というフェーズから、より「フワッとしたもの」に対して自分なりの仮説を作り、実証に向けて自発的に動くフェーズに変貌していく人材が出てくることです。

より簡単に言えば、進むべき方向も進め方も決まっていないことを、自分だけで完結させられるようになっていく。フワッとしたもののサイズ感は、その人が扱えるビジネス規模なのでしょう。

自分が扱うビジネス規模の拡大が、そのまま会社の業績に直結していく。それがベンチャー企業の魅力です。コスパを考えていた自分の意識が、ガラリと変わったきっかけでした。

会社を全社レベルで立て直すマネージャーの仕事。重責だが、レア体験として引き受けた

ベンチャー企業に勤める過程で、自分のちょっとした才能にも気づきました。「このままいくとヤバいんじゃないか?」「こう進めていくべきじゃないか?」。そういった予想(仮説)がほかのメンバーよりも早く、的確だったのです。

そこで、当時のマネージャーのフォローみたいなことを率先してやっていました。週4しか在籍していないのに、なんとなく会社の中でもプレゼンスが高い。いつのまにかそんな存在になっていました。そういった経緯があり、前述のマネージャーへの打診があったのです。

このベンチャー企業は非常におもしろく、ポテンシャルが高かった。売上規模もけっこうある。それなのにいろんな事情があり、赤字経営のまま拡大路線を取っていました。その年の上半期は、自分の所属事業部がポテンシャル通りの成長を遂げておらず、V字回復させる必要があったのです。

そう、このマネージャー業務はとてつもなく負荷が高い。プロジェクトの責任者レベルではありません。事業部の目標を達成し、P/Lレベルで会社を健全化することに責任を持つ立場だったんです。

非常に悩みました。この立場を引き受ければ、いままでのように「自分の売り上げは達成しているので、全体の数字が悪くても自分の責任ではない」というスタンスは成り立ちません。自分だけでなく、部下の業務と結果にまで責任を持ちます。

最終的に、マネージャー就任を引き受けることにしました。理由の1つは「サイズ感は大きくないとはいえ、いまの年齢でこの経験をできることは非常にレアだ」と感じたことです。つまり自分で起業をしなくても、すでにあるリソースで疑似体験できる。重責ですが、その価値ははかりしれないという直感がありました。

会社員とは、お金をもらって自分の経験をいただく場所。そういった価値観からの変遷が、自分のなかに訪れていたのです。

2つめは「この会社はもったいない」と感じていたからです。小さい会社なのによいお客様から仕事をもらっている。個々のメンバーだって魅力的だ。それなのに、マネジメントがなっておらず、人材育成がされない文化。個人レベルでは潤滑なコミュニケーションなのに、組織全体では風通しがわるい。

そういったものを変えていければ、本当によい会社にできるのでは? と考えたのです。

「頑張れば達成できる」と「心身を壊してしまう」は本当に紙一重のライン

さて、俺の獅子奮迅の活躍により、会社は劇的な業務プロセス・企業カルチャーの改善を遂げ、急成長を果たしました。

と書きたいところですが、漫画と現実は違います。

俺は1年ほどで「もう、つきあうのは限界だ」という結論に達し、冒頭に書いた転職活動を実行に移しました。それほどまでに問題は根深く、解決が困難だったのです。

個々の事情を書くことはできないですが、自分としては会社の成し遂げたい理想像が最後まで見えなかったし、個々のメンバーに対する要求・言動が一線を超えているように感じ取れました。それらをひっくるめて「会社をよくする」ことに自分の人生をかけられないと思い至ったのです。

「おいおい! だとしたら、そんなひどい会社でなぜそこまで我慢したんだよ。バカじゃねーの?!」と思われる人もいるでしょう。客観的には俺もそう思います。でも当事者としては、それほど割り切れるものではなかったりします。

そうです。個人の枠をこえて「会社をよくするために責任のあるポジションで、自分は価値を出していく」と決心したのは、自分自身です。マネージャー着任前とは風向きが変わりまくっていったという事情はあれど、自分が決めたことを簡単に投げ出したくなかった。

自分自身を嫌いになりたくなかったし、自分が縁あって出会った人たちの環境をいっしょによくしていくそこそこの実行力も、それなりの人望もあったからです。

会社をよくしたい(数字もカルチャーも)という方向性は同じなんだから、時には経営陣と衝突しながらも、最終的には同じ方向を向けると期待していた部分もあったのです。意外にロマンチストですね。

ですが、価値観の違いは絶望的なもので、そこに溝がある関係はどこまでいっても交わりません。恋愛といっしょですね。

無理ゲーとはおもしろいもので、人はけっこう無理めなことを達成できてしまったりします。それは強烈な成功体験と中毒性を生みます。というか、最初から達成できるものだけを対象に頑張っても、成長も拡大もありません。

急激なストレッチは痛みをともないます。頑張れば達成できてしまうラインと、心身を本当に壊してしまうラインは紙一重なのです。

本当に恐ろしいことですが、そのラインを見極めながらギリギリまで突っ込む必要があります(拡大を辞めると死ぬサイクルで走っている企業も多いですから)。

仕事に対する意識が高くなく、成長なんてあまり考えない自分でもそう感じるのだから、けっこうなヤバさだと感じます。いつまで、どこまでギリギリのラインを走り続けるかは、個人の意思とキャパシティに依存するため、客観的な正解が存在しないのです。

だからこそ、撤退ラインを先に決めてほしいのです。

撤退ラインは「会社に人生を預けない」「待遇や人間関係」「ビジョンへの共感」で決める

自分の経験から、撤退ラインのチェッカーにしてほしい内容を3点挙げてみます。

(1)その会社にこだわる理由は一切ないと胸に刻む

すべての根本となります。個人と会社は契約であり、それ以上でも以下でもないじゃないですか。それなのに、よい人との出会い・経験、報酬・勤務体系を含めた待遇、さまざまなことがあなたの目を曇らせていきます。基本のキですが、定期的に思い出してください。

もし理不尽な思いをしている人がいるならば、逃げるのは恥とすら思わなくていいです。別の場所にスライドしてください。あなたのまったく同じキャラクター・職能を、まったく違う形で受け入れてくれる会社は腐るほどあります。動くことのめんどくささから、逃げちゃダメなだけです。

会社なんてものは、あなたがいなくてもまわりますよ。どんなに重要なキーパーソンになっていても、いなくなればその前提でなんとかやるんですよ。後のことは気にしなくていい。まずは動いてください。

(2)待遇、やりがい、人間関係はどうか?

自分が昔から仕事で大事だと考えているのは (a)お金 (b)やりがい(c)人間関係 の3つです。

(a)のお金については、近年では労働条件の柔軟さも挙げられるでしょう。いかにライフステージに合わせた労働スタイルが担保されているかは、高収入と同じくらい重要になってきています。

ブラック企業がなぜブラックか? 大きな要因は、奴隷であるかのように拘束される不自由さにあります。私はけっこう給与をいただいていましたが、それでもストレスが大きかったのは、性悪説にもとづく恣意的な拘束があったからです。

(b)の何をもってやりがいとみなすかは、あなた次第です。自分が楽しいと思える職種であれば満足できる。スケールのデカいビジネスがやりたい。社会をよりよくしていくサービスに携わりたい。さまざまでしょう。

本当の意味でやりがいを見つけるのは、好きなこと探しと同じくらい難しいかもしれません。あなたの特技(なぜか苦もなくできること)が、身のまわりの人(仲間・顧客)を幸せにできている実感があるか? を感じ取ってみてください。そこにヒントがあります。

(c)は会社の人間関係です。縦のつながり(上司・部下)、横のつながり(同僚)、ナナメのつながり(不意に出会う利害関係のない出会い)の3種類があります。それらが魅力的で、仲間であることに喜びを感じられるかどうかです。

さらにいえば、プライベートを含めた自分の人生全体として見たときに、つきあわせてもらう価値があるかどうかで考えてみてほしいです。

その上でいっしょにいたいと思えるなら、素晴らしいことです。そうではないならば、あなた自身の人生のためにも、優先順位を下げてみてください。

(3)企業理念・ビジョンに共感できているか? そもそも存在しているか?

いきなり大きな話になってしまいました。でも聞いてくださいね。

経営はうまくいくかどうか分からないことを、何とかうまくいかせる行為です。企業の規模が小さいほど、あなた自身に降りかかってくる責任は大きく、重いものになりがちです。こまかい面倒なタスクやさまざまなストレスがあなたを襲います。それを何とかするのが、あなたの仕事なのです。

だからこそ「なんのために自分はここにいるのか?」という信念の背骨がないと、人は容易に折れてしまいます

もちろん待遇・やりがい・人間関係のどれかでよいです。ただし企業としての動き方が変わったとき、それらは容易に前提が崩れます。その中で崩れずにクライテリア(判断基準)として残るものこそが、企業理念やビジョンです。

ビジョンに対する共感、信用があれば、どんなに環境の変化があったとしてもやっていけます。なぜならあなたが、そこにいる意味自体にアグリーできているからです。

そんな企業は、なかなか見つからないかもしれません。企業理念がご立派でも、有言実行の会社は少なく、ビジョンに足元がついていっていないかもしれません。だけど目先のことがどうであろうと、向かう先が共有できているかぎり、人はいっしょに頑張れます

だからこそ会社に所属する前に、可能なかぎり実態を調べてみる。中にいるうちに理念やビジョンが無視されるようになってきたら、身を引いてください。

ベンチャー・中小企業なら会社全体、大企業なら所属している事業部のミッションと考えてください。転職においてもここを抑えていれば、「いろいろと見えなかった不満はあるけれど、だいたい予想通りだなぁ」と思えるはずです。

おそらく撤退を心に決められない人は、これらが整理できていないか、何かを過剰に評価してしまっているはずです。

自分で決めた行動に意味はあるが、撤退ラインを超えたら「止めよう」と判断を

自分自身を高めるため、未熟な会社をよりよくするために、身近で働いている人の笑顔のために頑張る人。

「自分だけがよければいい世界」「能力の範囲でできる仕事」を飛び越えて仕事をしている人はたくさんいます。

俺がそんな人たちに思っていることは1つです。どんな理由で頑張ってもよい。損得で考えたらバカらしいことでも、自分で決めて自分が取った行動には、ぜったいに意味がある

だからこそ「撤退する基準」を先に決めてほしいのです。

真剣にダイブすることを決めた対象で、おまけに困難を克服しようとしているとき、一度入り込むとなかなか撤退できなくなります。達成しようとする自分のバイアスと意地がジャマをしたり、「ここまで労力をかけてきたのだから」というサンクコストも、正常な判断を遠ざけます。

撤退は一見みじめなようで、その実は本当の勇気が試される行動です。強引に前に進もうとする慣性に対して、急激なブレーキをかけるのは非常に強い精神力が必要となります。周囲からの反発と引き留めも生みます。

だからこそ事前に撤退する基準を設け、基準を超えたら機械的に「もう止め(辞め)よう」と判断してほしいのです。それができなくて心身を壊してしまった人を何人か見ました。いや、心身が強制的にブレーキをかけてくれてくれたんだと思います。

俺の場合は「しょせんは他人の会社なんだから、朝起きたときにこれっぽっちもやる気が湧かなくなったら辞めよう」でした。その日が訪れたときに、転職を決意しました。

あっ、話の流れで書きます。世の中にはブラック企業とまではいかなくても、ダークグレー企業はけっこうあるように思います。給料そんな悪くないけどメンタル的にくる職場や、オーナーの一存で白が黒に変わるから安心安全が保証されない会社。特にコンプライアンスが守られにくい、中小のオーナー企業など。

「あれやな……人が理不尽に耐えられるのは1年が限界やわな……」

ちょうど同じタイミングで転職をした友人のこの言葉は、本当に真実だと感じた。「理不尽」を冒頭の「納得感」を持てない環境と言い換えてもよいでしょう。

そのときは、変なプライドをかなぐり捨てて撤退戦を徹底する。自分の人生に大きな影響を及ぼす「致命的な大敗」を避けるために必要だと思います。

なんのために頑張っているのか分からなくなると人は危うい。前向きな撤退を想定してから、攻め込んでくれることを願っています

※この記事は、サイボウズ式特集「そのがんばりは、何のため?」の連載記事として2020年10月1日に公開されたものです。

イラスト:マツナガエイコ

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