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「まだ大丈夫」と心は嘘をつくから。しんどさに素直になる技術の育て方

本当はしんどいのに、「大丈夫、大丈夫」と返してしまうこと、ありませんか?大人になればなるほど、人に頼ることは勇気がいります……。

サイボウズ式では、そんなしんどさを向き合う特集「ひとりじゃ、そりゃしんどいわを始めます!

今回は、元コピーライターで、現在は事業開発に取り組んでいるいぬじんさんに、「人に頼る技術」について執筆いただきました。


ぼくはときどき、ぼくに嘘をつく

ぼくはムダにプライドが高い。

ちょっと難しそうな仕事を頼まれても「これくらい余裕です」という顔をしてしまう。それで、とんでもないことを引き受けてしまった……とあとから一人で勝手に困っていたりする。

おまけに、ぼくは考えていることがとても顔に出やすいので(だからトランプ遊びもとても弱い)、誰かがすぐに気づいて「大丈夫なの?」と声をかけてくれる。だけどムダにかっこつけたがるので、「大丈夫、大丈夫」と返事をしてしまう。

そう答えつつも、心の中で「いやあ……ほんとはけっこうキツイんだけどなあ」と思えているあいだはマシなんじゃないかなと思う。自分でキツイとわかっているから、あまり無理をしないように休憩を取ったり、もっと厳しい状況になったら誰かに相談する心づもりでいられるからだ。

ただ、気をつけないといけないのは、本当はキツイのに「大丈夫、大丈夫、この程度はこれまでもやってきたから……」と何度も無理に言い聞かせているときだ。

【上司】
ちょっと寝不足が続いているけど大丈夫?
【いぬじん】
大丈夫です!
【上司】
ミスが増えてきているけど大丈夫?
【いぬじん】
大丈夫です!
【上司】
冷静な判断ができてない気がするけど大丈夫?
【いぬじん】
大丈夫です! ほんと大丈夫だから……。

ぼくの経験からすると、そういう状況があまりに長く続いていると、だんだん良いアイデアが出てこなくなる。楽しいことを考えられなくなり、生活のリズムも崩れ、本当に体調が悪くなってしまうことがある。

だけど、このことに自分自身で気づくのはなかなか難しい。なぜなら、心は嘘をつくからだ。

これまで働いてきた中で、ぼくが本当に危なかったな、と思うときは、そういう自分の心の嘘に気づけなかったときのように思う。

「しんどいけど楽しい」にご注意

ぼくは若い頃、コピーライターになりたい、という希望を胸に抱きながら、他の仕事をしていた。なかなか思い通りにキャリアが進まず、すごく焦っていたのを思い出す。

本当にやりたいことではない仕事を、遅くまで無理して取り組んでいることにも、ストレスを感じていた。だけど、ここで「しんどいから夢をあきらめたい」と言ってしまったら負けだ、と思っていた。

だから、夜までずっと普段の業務に取り組んでヘトヘトになっても、がんばり続けるしかない。職場に誰もいなくなった深夜から、ようやくコピーの勉強をはじめたり、賞に応募する作品をつくったり……。そうやって徹底的に追いこんでも、週末にひたすら眠れば回復できた(気がしていた)。

そんな生活を数年続けていると、だんだん体調が悪くなってきた。

血圧がひどく高くなったし、体重も急に増えた。また、コンタクトレンズの度が右と左で微妙に違うのが気になりはじめ、それを片目ずつつぶって確かめる変なクセができた。今でも、すごくストレスを感じているときにこのクセが出る。当時は、ストレスによるものだとは気づけなかった。

周りから仕事のことを聞かれると、口癖のように「しんどいけど、楽しい」と答えていた。本当にそうだった部分もあるけれども、やっぱり今思い返すと、無理に自分に言い聞かせていたのだと思う。

少なくとも「しんどい」の割合は「楽しい」よりもかなり上回っていたはず。でも、何度も「しんどいけど、楽しい」と周りにも自分にも言い聞かせているうちに、本当にそうだと思い込むようになってしまっていた。

その後、幸運にも救いの手が差し伸べられて、コピーライターの仕事ができるようになったからよかったものの、あのままの働き方がずっと続いていたら……と思うとゾッとしてしまう。

「これまでも大丈夫だったから」にもご注意

コピーライターになってしばらくは、とにかく仕事が楽しかった。それがうまくいかなくなったのは、30代も後半に入った頃のことだ。

キャリアに少し停滞感を感じていたぼくは、思いきってまったく畑違いの部門へと飛びこんだ。そこは、ぼくがこれまで培ってきた考え方や技術がまったく役立たないところで、とにかく論理的思考が必要とされていた。

物事を常に感情でとらえ、感情で取り組んできたぼくにはとても辛い職場だった。また比較的若い人たちが多かったので、ぼくはそれなりにベテランとしていい所を見せないといけないと思って余計に焦っていた。

思い出してみれば、あの頃、上司から何度も「大丈夫か?」と聞かれていて、そのたびに「大丈夫です」と答えていた。大丈夫でなければいけない、と思っていた。

自ら希望して飛びこんできたこの職場で、ちゃんと成果を出して、後輩たちもしっかりと育てて、上司からの信頼を得ることが今やるべきことだ。多少しんどいとしても、ぐっと自分を追いこんで、なんとか成長しなければいけない。

これまでも必死に努力して、道を切り開いてこれたのだから、絶対に今回も大丈夫、ぼくならやれる、そう思っていた。

だから、誰にも相談もしなかった。だって、大丈夫なんだから。そうやって、ぼくはぼく自身に嘘をつき、どんどん弱っていき、最終的には体調を崩してしまった。

ぼくを周りに頼りづらくさせているのは、ぼく自身だった

そういった経験から、ぼくは、追いこまれたときやしんどいときに、いかに自分自身の心が信用できないかを学んだ。とくに年を取ると難しいのは、「いい年をして他人に頼るなんてまずいんじゃないだろうか」という気持ちがあることだ。

周りの大人たちを見ると、みんな平然として無理難題を解決してみせたり、大変な状況でも歯を食いしばって乗り越えていく。なのに、自分だけが「しんどい」と音を上げるわけにはいかない……と思ってしまう。

家族に対しても、これからまだまだ子どもたちを育てていかないといけないのに、弱音を吐くなんて情けない……と思ってしまう。

ぼくを周りに頼りづらくさせているのは、他の誰でもないぼく自身だった。

何度か危ない目にあってみて思うのは「もっと自分に素直になっていればよかった」ということだ。「自分だけでは対処する自信がありません」とか、「実は行き詰っていて、困ってます」とか、素直に言えたら済む話だったことが多い。

だけど、どうしてもぼくの無駄なプライドがそれを邪魔してくる。おまけに周りの目が気になったり、出世への影響が気になったりして、いつでもオープンマインドでいるのは難しい。

じゃあどうすればいいのか?

自分の心のドアを開く、ちょっとしたコツ

自分の心のドアを開いて素直になるためには、いくつかのコツがあるように思う。

たとえば日記だ。ぼくはブログとは別に、紙のノートに不定期に日記をつけている。ちょっと具合が悪いなとか、なんだかモヤモヤするな、という時は、ノートを開いてその内容を箇条書きにする。丸とか三角とか四角とか、ぐちゃぐちゃと落書きをすることもある。

不定期に自分が感じていることを書くうちに、実は我慢しているんだなとか、本当はこうなりたいんだなとか、少しずつ自分の本当の声が聞こえてくる。

それから、意外と役立つのが、大阪弁でしゃべることだ。大阪弁という言葉は、自分の本音を話すときにすごく有効に機能する。

「ほんまにそんなことおもてたっけ」「ちょっとええかっこしすぎてもたな」と風呂に入りながらぶつぶつ言ってると、じわじわと心のバリアが溶けていって、自分の中にいる「ただのおっさん」が出てくる。

そう、ぼくはそんな難しいことで悩むような高尚な人間ではない、ただのおっさんなのである。ごちゃごちゃ考えてるひまがあったら、えらいこっちゃ、えらいこっちゃと騒ぎ立てればいいのである。

大阪出身でない方も、ぜひ地元の方言やスラングでぶつぶつと話してみてほしい。きっと、ありのままの自分の気持ちに近づけると思う。

そうやって自分自身に対して心を開くことができれば、周りの人たちに頼ったり、助けを求めたりすることは難しいことではないような気がする。

【いぬじん】
(こんなつまらないことで困っていると知られたら、バカにされるぞ)
(こんなことを相談したら、評価が下がってしまうかもしれないぞ。やめておけ)
(悩みごとは胸の内にこっそり隠して、平然とした顔でやり抜くんだ)
(今までもうまくやってきたんだから大丈夫……)

そんな風に心のドアが固く閉じようとしているときは、その不安をゆっくりとほどいてあげる。それができれば、自然と他人に対して心は開かれていくように思う。

人に頼るときの、ちょっとしたコツ

無事に心のドアが開いたら、さっそく誰かに話をしてみてほしい。

もしかすると、いきなり本題に迫るのはちょっと……と気が引けてしまうかもしれない。 そういう時にぼくがやるのは、自分の職場以外の人と話をしてみることだ。

とくに、ぼくの一番のオススメは、自分の会社や業界を定年退職した大先輩たちだ。彼らは、ぼくが置かれている状況をすぐに理解してくれる。それはなかなかキツイ状況だねとか、ああ私もそんなことがあったよとか、共感を持って聞いてくれる。

また、今は退職して業界から離れているからこそ、客観的にぼくが置かれている状況を見てくれる。あと、時間に余裕があるから、じっくりと話を聞いてくれるのもありがたい。

別に、同じ会社や業界でなくてもいい。極端に言えば、あなたが安心して話ができる人なら、誰でもいいのである。自分の職場にはいない「ちょっと遠い人」に、自分のありのままの状況を話してみてほしい。どうもこれはマズイぞ!という時は、もう一歩踏みこんで、職場のしかるべき人に相談してみるのがいいと思う。

自分の弱みを打ち明けるのは勇気がいるが、くれぐれも、はたしてこの人に話すことが有効な解決方法になるのか…なんて考えこんじゃいけない。これは練習だ。誰かを頼るときにはどういう風に声をかけて、どんな風に話を切り出して、どんな風に助けを求めればいいか、それを話しやすい相手に対して練習させてもらえばいいのだ。

そう思えば、最初の一歩はかなり楽に踏み出せるのじゃないだろうか。

心のドアのメンテナンスは終わらない

年を取れば取るほど、誰かに頭を下げて相談をする、ということがしづらくなる。ぼくもこれから先、心のドアが再び開きづらくなることがあると思う。

新たなしんどさに直面したとき、ここまで書いたことがちゃんと役立つかどうかはわからない(何か他にいい方法を知っている方がいらっしゃったら、ぜひ教えていただきたい)。

定期的に人に頼る技術を身につけ直すうえで、大切なのは「自分はこういう状況になって危ない目にあった」「自分はこんな風に切り抜けることができた」といった経験を持ち寄ることかもしれない。

お互いの弱さを知らせあうことができるチームは、きっとすごく強いチームだと思う。ぼくがこれから有望だと思うのは、そういった「対話」ができる関係性を持つことだ。対話というとたいそうであれば、雑談でも立ち話でもいい。この『サイボウズ式』のように、いろんな人たちの多様な経験や考えを読める場があるのもすごく役に立つ。

その中で自分の「しんどさ」の状態がわかったり、対処法をいくつも思いつけたりする。自分一人で考えこむのではなく、周りといい影響を与えあいながら、変わり続けていく。それが一番大事なんじゃないだろうか。

ここまで書いていて思ったけど、人生は修行だなあ、と最近よく思う。どうすればもっと素直に、もっと自由に、もっとたくさんの喜びを感じて生きていけるか……。きっと、ぼくと同じように、あなたの周りにも修行を続けている人たちがいると思う。

ぼくたちは、それぞれが修行の中で得たことを伝えあい、お互いの修行をはかどらせるために協力しあうこともできる。

そういう「対話」の場のひとつとして、会社や組織があるんじゃないかなあ、と思ったりする。そう考えると、長い人生の中で、会社で働く時間なんてほんの一部にすぎない。あまり思いつめんと、気楽にやっていきまへんか。

※この記事は、サイボウズ式特集「ひとりじゃ、そりゃしんどいわ」の連載記事として2022年5月16日に公開されたものです。

イラスト:マツナガエイコ

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